NOVEL
Heaven’s Royale
-Party with Sweetheart-
パラロス区を出て3か月が経った頃。
わたしたちは、一度パラロス区に戻ってきていた。
パラロス区の街並みは以前と変わらないが、雪がなくなって暖かくなっていた。
新しく見つけた区はパラロス区とも交流が盛んで、手紙を出すことができた。
せっかくなので、一度カルラに顔を出すことにした。
手紙で戻ることを伝えると、次の日にはカルラからの返事が来た。
『帰ってくるの!? ちょうどよかった! 今度、私が働いてるカフェで豪華なパーティーをやるの。よかったら二人も来てほしいな。』
わたしが行きたいと言うと、ナルガさんは頷いてくれた。
そしてパーティーに行くにはドレスが必要だ。
ということで、カルラと会う前に店に入って、服を選ぶことにした。
「こんな窮屈な服装は久しぶりだ」
シャツの上にジャケットを羽織る彼を見て、思わず目を奪われる。
あれから、彼に色気を感じることが多くなった気がする。
直接言えないが、シャツを着た彼はいつもと違っていて、より意識してしまう。
それに見合う存在になれていると良いのだが。
彼はいつも胸元の開いた服ばかり着ていて、目のやり場に困る。
シャツを着てくれれば少しは、と思ったが時々刺青が透けて見える。
結局、わたしが余計意識してしまうだけだった。
「好きなものを選んでいい。金はこの前稼いだからな」
「ええ、ありがとう」
初めて、デートらしいことをしている気がした。
わたしはテレビや小説でしか見たことがないから、本当のデートがどんなものか分からないけれど。
そもそも買い物自体、生前のわたしにとっては珍しいものだった。
彼と初めて心を結んでからの日々を振り返る。
この三か月は、移動して穏やかに過ごしたり、お金を稼ぐために賭け事に参加したりした。
天使にはまだ遭遇していないので、ロワイヤルの時のような激しい戦闘はしていない。
「わたしたちって、その……恋人、になるの?」
パラロス区を出てすぐ、こんな質問をした。
すると、「そうだとしたら、何か変わるのか?」と返された。
この人が素直ではないことは分かっている。
それでも、あの時のように正直な気持ちを聞きたくなってしまう。
彼は以前とあまり変わらず接してくる。
移動中も適度に休憩を取ったり、わたしを気遣ってくれることは増えた気がするけれど。
恋人らしいことと言ったら、道中の廃墟で過ごしたことぐらい。
あの時は勇気を出して、頬に軽くキスをしてみたら、不意に顔を引き寄せられて――。
思い出すだけで顔が熱くなったので、わたしはドレスに意識を戻した。
「これ、かわいい」
そう思って取ったものは、胸元の開いたドレスばかりだ。
これが似合うぐらいのものがあれば、と何度思っただろう。
下を見ると自分の胸元が視界に入って、ため息をつきたくなった。
「まだ決まらないのか?」
何気なく、彼はわたしが戻したドレスの横にある、黒いドレスを手に取った。
彼にとっては何の意味もないことなのかもしれない。
でもわたしにはそれがとても価値のあるものに見えた。
彼が選んだ黒を着たいと思った。
個室に入って、キャミソールタイプのドレスに着替える。
覚悟はしていたが、いつもの服よりも体のラインが出る。
鏡に映る自分を見て、肩をすくめた。
これだけ胸元が開いた服を着るのも初めてだ。
おそるおそる個室を出る。
高いヒール靴は歩きにくいけれど、これは彼の視界に近づくために選んだ。
「……それにしたのか」
彼は間を置いてからそう言った。
目は少しだけ逸らされた気がする。
「やっぱり、あなたも……」
大きい方が好きなのかも、と言いかけて飲み込む。
視線が下に落ちる。
「は?」
「なんでもないわ。行きましょう」
わたしは先に店を出て、振り返らずに歩き出す。
「俺がそんなことを気にするような奴に見えていたのなら、心外だな」
後ろからため息交じりに声が聞こえる。
目は合わせられなかったけれど、少し嬉しかったのは否めない。
***
事前に言われていたカルラの店『セカンド・リバティ』に向かう。
現界では入ったことがないような、花で飾られた華やかな外装の店だ。
「おかえりなさい!」
扉についたベルが音を立てる。
中に入ると、10人程の着飾った男女が集まっている。
わたしたちに気づいて、見知らぬ子どもが駆け寄ってきた。
「どうしてあんたがいるんだ」
彼は知っているようだが、わたしには見当がつかない。
白いシャツとサスペンダー付きのスラックスをはいているが、あまり着慣れていないように感じる。
「えっと、誰?」
「ナルガさんはぼくのこと、言ってなかったんですか?」
わたしが首を振ると、子どもはしょんぼりとした表情をした。
「来ないと思っていた。ガキが来るような場所じゃないからな」
ナルガさんの口調は相変わらず辛辣だけど、敵視はしていないように見えた。
「ガキじゃないですよ。カルラさんが呼んでくれたんです」
子どもは口を膨らませて拗ねている。
幼い男の子と話すのは双子天使以来で、わたしも調子が狂いそうになる。
もしかしたらわたしより年上なのかもしれない。
「こいつはバルカ・U・アイぺロス。俺が昔、ひき殺したガキだ」
「えっそうなの?」
「カルラを探すのに探し屋を使ったと言ったが、その探し屋がこのガキだ」
彼が昔子どもをひいたということは知っている。
それがきっかけで車の運転を避けていたことも。
しかし、その子どもと仲が良さそうなのは意外だった。
しかもカルラとも繋がりがありそうだ。
「バルカは、カルラとはどういう関係なの?」
「みなさんが旅立った後、このお店でお手伝いを始めたんです。カルラさんには、料理を教えてもらってます。仕事以外でも本当に良くしてもらってて、お姉ちゃんができた気分です」
バルカは笑いながら頭をかく。
「でも、ナルガさんが作ったハンバーグも好きです。家庭的な味っていうか。今度教え」
「断る」
確かにナルガさんはハンバーグを作っていたけれど、それをこの子も知っているのはどうしてだろう。
わたしがいない間に、何が起きていたのか。
このパーティーが終わったら聞いてみようと思った。
「ルーシー!」
よく知った声と共に、カルラが手を振りながら歩いてきた。
長い髪はまとめていて、白いマーメイドドレスがよく似合う。
「久しぶり! って程じゃないかな。元気にしてた?」
「ええ。後でお土産を渡すわ」
「そのドレス、似合う! かわいい!」
カルラは屈託のない笑顔で褒めてくる。
直接かわいいと言われると、やっぱり照れる。
「ねえねえ、彼とはどう?」
カルラはわたしに近づいてくると、早速小声で聞いてきた。
「どうって……何もないわ。いつも通り」
「えっ、何もなかったの?」
「も、もういいでしょう。席はどこ? バルカって子が待ってるわ」
わたしは無理やり話題を逸らして席につく。
カルラに言われた言葉を彼にも言ってほしかった、とは少し思うけれど。
「みんなは何食べる?」
「カルラ、お肉はあるかしら?」
「もちろん! 食べて食べて!」
カルラは厨房から皿をはみ出る大きさの骨付き肉を持ってきた。
そして、その衝撃を上回る程香ばしい匂いがする。
「美味しそう! いただきまーす」
「おいルーシー、それ一人で食うのか?」
これからの至福の時に、向かいの男が水を差す。
わたしは肉を持ったまま彼を睨む。
「なに? 欲しいの?」
「大きくないか?」
「うるさいわね。どうせわたしは大食いよ。言っておくけど、あげないわよ?」
ナルガさんは「全く」と言いながら呆れていた。
彼にはいつも、食事の時は特に「全く」を言われている気がする。
今更気づいたけれど、口癖なのかもしれない。
「あの、ジュースはありませんか?」
バルカがコップを手に逡巡している。
このテーブルには紅茶とコーヒー、酒瓶が置かれていて、ジュースはない。
わたしはロワイヤル中に泥酔したせいで酒を禁止されたので、紅茶を飲んでいる。
「あんたはガキじゃないとさっき言わなかったか?」
「でも、苦手なものは苦手です……」
「じゃあ大好きなピーマンでも絞って」
「パプリカです!」
「もう、いじわるしないの。ジュースならあっちにあるから」
カルラが痺れを切らして立ち上がる。
彼が子どもをからかうところなんて初めて見た気がする。
バルカとは意外と仲が良いのかもしれない。
少し嫉妬しそうになったけれど、彼が楽しそうならそれで良いと思えた。
カルラがコップにジュースを注ぎ始める。
わたしはそれを横目に肉に噛みつく。
「おいしい!」
口の中に広がる焼いたお肉の味。
この瞬間だけは、何にも代えられない。
「おいしいです!」
横のバルカもジュースを飲んで幸せそうな顔をしている。
「こいつらは相変わらずだな……」
ナルガさんはため息をついていたけれど、あまり嫌そうには見えなかった。
それからは今まであったことを話しながら、賑やかで楽しいひと時を過ごした。
話していたのはほとんどわたしだったけれど。
***
長いパーティーが終わって、すっかり夜も更けた頃。
カフェを後にして、事前に取っておいたホテルに向かった。
前に泊まった宿より高級で、蝶の庭園がよく見える場所だ。
「とっても楽しかった。ここには定期的に帰りたいわね」
「まあ、悪人が全然差別されないのはこの区ぐらいだろうな」
「でもバルカにはびっくりしたわ。あなたが全然教えてくれなかったんだもの」
ソファーに座って水を飲みながら、雑談の続きをした。
最近になって気づいたことだけど、彼はわたしが傍にいる時は煙草を吸わない。
それより、彼がずっと手に持っている紙が気になる。
「ねえ、その紙は何? さっきバルカから貰ってたでしょう」
「……これは、母親の遺言だ」
少し間を置いて、彼はそう言った。
「どういうこと? お母さんは天国にいるんじゃ……」
「いや、死んだんだ。二度目でも。……お前になら、話してもいい」
わたしは黙って頷いた。
彼は今まで話さなかった生前のことを、たくさん教えてくれた。
母親のことも、胸の傷を隠すために刺青を入れたことも。
そしてこの二度目で、ラグエルに利用されそうになった母親が自殺したことも。
彼がそれを知ったのは、わたしが傷を負って、気を失った時だった。
バルカはわたしたちと会う前に、母親の家で手紙を読んだらしい。
しかし肝心の手紙は、ラグエルが破いてしまった。
バルカはそれを覚えて、この紙に書き残していたのだという。
『悔いがあるとしたら、一度目でもう少し長く生きたかった』
『手遅れになる前に、息子を救ってあげたかった』
『息子は許されない罪を犯した。この二度目でも、息子を許さない人が多くいるでしょう』
『それでも私は息子と、それに関わった全ての人のため、死を選ぶ』
『あの天使に従うことが、誰のためにもならないことは分かる』
『不甲斐ない母親で、ごめんなさい』
彼は紙をわたしに見せてくれたが、途中は視界が滲んで読めなかった。
「そんな……」
彼は悪人になる前の話をほとんどしなかった。
それでも、旅を続けていれば、いつか家族に会えるのはではないかと思っていた。
しかし彼の罪は、二度目も消えることはない。
彼がわたしを強く抱きしめたのは、ラグエルと出会った後だ。
つまり、母の死を知ってからということになる。
そんな状態で、わたしを介抱していたのか。
わたしが感じた彼の苦しみの正体を、今になって知った。
そしてこの手紙を読んだ今も、きっと。
考えるだけで、目頭が熱くなっていった。
「どうしてお前が泣くんだ」
「だって……」
運命なんてものは、どうしてこんなにも彼に冷たいのだろう。
彼が悪人なのは、分かっている。
それでも、憎まずにはいられなかった。
涙が伝うより先に、彼は指先で目尻を拭ってくれた。
「この話は終わりだ。だから泣くな。せっかく買った服がだめになる」
ずるいし、らしくない言葉だと思った。
普段は、全然そんなことを言ってくれないのに。
けれど、善人だった頃の彼が失われたわけではないのだと気づく。
さっきまでは、彼の正直な気持ちを聞きたいと思っていたけれど。
何事もなければ、彼はきっと自分から動かないだろう。
本心を無意識に隠すような人だと、分かっているから。
だからこれだけは、自分で伝えないと。
「……ナルガさん」
そっと近づいて、シャツの襟元を掴む。
目立たなくなっているけれど、露わになった胸にはうっすらと傷痕が残っていた。
「どうしたんだ。急に」
「キス、したい」
目を合わせられないまま、ずっと言いたかった言葉を口にする。
「……目を閉じればいいか?」
彼はあっさりと答えた。
少し驚いた気がするけど、それ以外はいつもと変わらなかった。
「そ、そうじゃなくて……」
「どうしてほしいんだ?」
わたしがしたいと言うより、してほしいのに。
彼は間違いなく、わたしが言いたいことを分かっていて言っている。
「あなたは身長が高いし届かないから……」
「ならこうすればいいのか」
反論する前に手首を掴まれて、ソファーに押し倒された。
気がついたら、彼がわたしのすぐ上にいた。
「これで届くだろう」
目をそらした先にはだけた胸元があって、さらに顔が熱くなった。
その隙間から見える痩躯と、腰に刻まれた刺青。
わたしの思考を停止させるには十分だった。
「あの時、何度もしただろう。まだ慣れないか?」
あなたと初めてキスをした”あの時”。
それを思い出させられて、また思考が回らなくなる。
「慣れるわけないでしょう……っ!」
「……仕方ないな」
透き通った銀色の髪が頬を撫でる。
熱い吐息がかかり、柔らかい唇が重なるのを感じた。
薄着だから、前よりずっと近くにいる気がする。
これだけ彼と密着したら、もう筒抜けになってしまう。
わたしが帯びる熱も、膨らみのない体も、その奥で暴れる心臓も、全て。
彼の体温と鼓動が布越しに伝わってきて、さらに熱くなった。
恥ずかしいけれど、やめてほしくなかった。
「ん……っ」
思わず声が漏れた時、彼は唇を離した。
「本当に、嬉しそうな顔をするんだな」
言葉と共に、唇が弧を描く。
けれどそれは、優しい笑みだった。
それを見せられると、わたしは何もできなくなってしまう。
わたしにしか見せない彼の姿で、わたしが大好きな笑顔だから。
「だって、ずっとしてほしかったから」
「これでも抑えていた。移動続きだったし、あまり無理もさせたくなかった」
わたしを大切にしてくれているのは分かっていた。
けれど、それだけでは不安だった。
「ありがとう。でも、ずっとお預けにされてたのよ。もっと、してよ。一度じゃ足りないわ」
「……お前」
体を起こして、思い切って挑発気味に言ってみる。
彼は少し驚いて、一瞬だけ目を伏せた。
自分で恥ずかしいことを言っているのは分かっている。
でも、この感情はとっくに抑えられなかった。
「わたしには、遠慮しないで」
「……わかった」
彼はわたしをかき抱き、噛みつくように唇を奪った。
それはあの夜よりも深くて、溺れていくようだった。
口を少し開けて、舌をおもむろに絡ませる。
抱いていた不安はすぐに消えた。
優しいようで激しい口づけは、彼の本心を確かに伝えていた。
わたしが傍にいるだけで、あなたの苦しみを和らげられるのなら。
過去を少しでも忘れられるのなら、何度もわたしを求めてほしい。
わたしもあなたに愛されている時が、一番幸せを感じられるから。
「ルシフェル……」
彼は吐息混じりの声で、わたしを本当の名前で呼ぶ。
二人きりの時は本名で呼んでいい。
それが、あの夜に生まれた静かな約束。
彼は以前『本名で呼ばれるのは好きじゃない』と言っていたけれど。
心を許せる時だけは、嘘偽りのない姿でいたい。
絡められた指先を、強く握り返す。
一度目は愛されなかったから、こうして熱を渇望してしまう。
ひょっとしたら、彼もそうなのかもしれないけれど。
彼はわたしを離すと、最後に、胸元にそっと唇を落とした。
「……っ!!」
一瞬思考が飛んで、声にならない声をあげた。
彼の行動には何度も翻弄されているけれど、いつまで経っても慣れそうになかった。
「遠慮しなくていいんだろう。それとも、まだ足りないか」
「どうしてそんなに冷静でいられるのよ……!」
「これが冷静に見えるのか?」
「見え……るわ」
わたしは逃げるように部屋を出て、ネグリジェに着替える。
下を見ると赤色の痕が残っていて、思わず腕が止まった。
それを見た時、自分の嫌いだった部分を少し、好きになれた気がした。
ただ、この痕は恥ずかしいのでいつか仕返ししてやろうと思う。
できるかは、分からないけれど。
結局、わたしたちが眠ったのは、夜明けに差し掛かる頃。
部屋の明かりは真夜中から消えることなく、わたしの頬を照らしていた。