NOVEL
Heaven's Royale -Archangel's Desire- 2/6
大天使の部屋に向かうと、ルシフェルが一人で座っていた。
相変わらず身に余る大きさの玉座で笑いそうになる。
「ちょうどよかった。アザゼル」
ちょうどよかった? と首を傾げる。
この僕が、こいつが良しとするタイミングで来たとでもいうのか。
「今回のロワイヤルに関して、君の意見を聞きたい」
僕はしばらく無言で考える。
こいつの言うことを聞く、つまり僕がこいつの役に立つことは恥だ。
ならばやることは一つ。
「あれ? ルシフェル様? どこですか?」
僕は額に手をあてて、わざとらしくルシフェルの頭上を見渡す。
「殺すぞ」
ルシフェルは静かに睨みつける。
「おやおや、そこにおられましたかー。すみませんねぇ、見えませんでした。小さすぎて」
日課の一つが終わった。
「……節穴め」
自然に笑みが零れる。
殺気を感じるのは、廊下からラビエルが睨んでいるからだろう。
いつからいたのかは知らないが、ルシフェルに関わると大抵あれがついてくる。
まあ何もできない腰巾着なら放置でいい。
僕はラビエルを横目で一瞥してから、ルシフェルに向き直った。
「それで、今回のロワイヤルの勝者ペティだが、少し気になることがある。ロワイヤルの監視役は、ベリアルと君だったな」
「それが何か?」
まさか、イカサマがバレたのか。
いや、このチビが僕の崇高な計画に気づくとは思えない。
「ベリアルに聞くと、ペティはロワイヤル中ほとんど隠れていたらしい」
外にいたベリアルはペティをほとんど見ていないはずだ。
だから隠れていたと報告したのだろう。
僕がペティを善人の家に隠していたのだ。
見つかるはずがない。
「今回の参加者は元軍人や殺人鬼が多かったが、彼の生前は窃盗犯だ。戦闘能力は皆無に等しい。そんな彼がどうして勝ち残ったのか? 俺はそれがとても不思議だ」
そうだ、だから他の上級はペティに賭けなかった。
僕はそこに目をつけて、ペティを勝たせた。
この言い草だと、ルシフェルは僕を疑っているが、まだ種に気づいていない。
こいつが低脳であることに、ほんとわずか、塵ぐらいは感謝してやろう。
そしてその低脳が目の上の瘤になっているのがたまらなく不愉快だ。
「ギャンブルに番狂わせやイレギュラーは付き物でしょう。ルシフェル様はあれですか? 肩書きでしか評価できない無能ですか?」
思わず笑い声をあげようとして、抑える。
まだ早い。
笑うのは不意打ちを成功させた後だ。
「ああ、君が彼にチップを全額賭けた理由は聞かないでおくよ」
「……ちっ」
苛つきが上回って、笑みが消える。
やはりこいつは憎らしい。
「驚いたよ。君は意外と博才があるんだね。他の天使が数人に絞って賭けている中、泥棒一人に全賭けなんてリスキーだ。大穴にも程がある」
「それはどうも」
棒読みで返事を返す。
ペティ一人に全賭けは不自然すぎたか。
だが確実に1位で勝つには、こうするしか思い浮かばなかった。
僕は最強の天使だが、思い通りにいかないギャンブルは嫌いだ。
それこそギャンブルの醍醐味なのかもしれないが、僕の得にならないイレギュラーは好きなイレギュラーではない。
ただルシフェルに不正がバレてしまったら、1位になった意味もなくなってしまうのだが。
「だがロワイヤルの勝者を天使にする以上、ある程度参加者を倒した者でないと困る。だから、参加者を殺さないと勝者になれない、といったルールを追加したいと思う。
例えば、ロワイヤルの参加者に名前を書いたもの……ドッグタグのようなものを持たせるとか」
「それを参加者を殺した証にしようとでも? 面倒なことを考えますね」
僕は柄にもなく意見を出す。
こいつに深く考え込ませ、隙を作るために。
「あと、参加者が残り人数を知る術を作りたい。あの時計塔を利用できないか?」
ルシフェルは俯き、考え始めた。
隙だらけだと確信し、大剣の柄に手をかける。
「あの時計塔はエデン区の端にいると見えないという欠点が……」
僕は話しながら様子をうかがう。
不意を突くなら、今か。
「おおっと危ない!」
僕は笑いながら、ルシフェルの頭上から大剣を振り下ろす。
「甘い」
渾身の一撃を、ルシフェルは細剣で受け止めた。
それから距離を取り、間合いに細剣を突きだす。
僕は後ろに飛んでかわした。
「隙だらけだ。もっと頭を使え。だが、確かに君の言う通りだ。あの時計塔は場所によっては見えない。時計塔以外にも見える場所が必要だな」
「時計塔だけで十分ですよ。参加者がその場所に集まれば、隠れる輩も減りますしねぇ!」
次々に繰り出される攻撃を、ルシフェルは考え事をしながら避け続けている。
「なら、次は時計塔だけにしてみるか。あと懐ががら空きだな」
ルシフェルは翼で宙を舞い、僕の腕に向かって斬りつけてくる。
ここはわざと負けてやる。
僕の実力がその程度だと思わせるために。
「くっ……!」
僕は腕の力を抜き、大剣を落としてみせる。
不毛な戦いが終わった。
鍛練以外の日課はこれで終わった。
「惨めだな。己の実力ぐらいわきまえろ」
チビの分際で僕に文句を垂れるなど腹立たしい。
お前が僕に垂れるのは、不快な戯言ではなく頭だ。
「君の攻撃は単調すぎる。これでは人間と変わらない。天使なら、もう少し翼を使ったらどうだ」
今すぐ殺したいが、まだ抑える。
こいつを殺すことは既に決まっているが、今ではない。
「俺がその剣を拾ったら、君は堕天使になる。それができるくらい隙だらけだ」
「黙れ。僕に指図するな」
僕はすぐに大剣を拾う。
「へへっ、ふへはへへっ……せっかく護衛役になったんですから、毎日ぶっ殺して差し上げますよ。目障りなルシフェル様」
殺意を誤魔化すように、笑う。
いつもの不毛な争いだと思わせる。
「君が護衛役を志願した時点でそんな気はしていたよ」
「そうでもないと、護衛役なんてやらないですよ」
知っていながら、僕を護衛役に選んだのか。
こいつはそんなに死にたいのか。
ならば明日にでも、思い通りに殺してやろう。
不毛な争いも飽きた。
こいつの動きも読めてきた。
そろそろ計画を実行できる頃合いだろう。
本当は護衛役としてもう少し観察してから殺すつもりだったが、僕のイカサマが発覚したら元も子もない。
「君は護衛役の意味を知っているのか?」
「大天使とかいうでくのぼうを殺す役ですよね?」
ルシフェルが挑発してくるので、挑発で返す。
「……はぁ」
ルシフェルは肩をすくめ、大きくため息をついた。
その憎たらしい顔を見るのも今日で最後だ。
「悔しいなら、この僕を堕天使にでもしたらどうですか?」
こいつはそういうことはしないと分かっているが、挑発する。
「それはしない。天使は簡単に増やせない。こんな愚かなことで数を減らしていたら、いつか悪人の反乱を招くだろう」
「僕はお前のようなチビが、未だ僕の上に立っていることが気に食わない」
僕は大剣を担ぎ、背を向ける。
愚かなのはお前の存在そのものだろう、ルシフェル。
「僕は僕の指図しか受けない。だからお前は邪魔だ」
ラビエルを素通りして、廊下を歩く。
他にも天使がいるようだが、気にせずに自室に戻った。
***
計画を実行するのに必要なものは、人間と縄だ。
人間は悪人を使うのが良いだろう。
善人より悪人がいなくなる方がいろいろと都合がいい。
縄は地獄にある天使の休憩室におそらくあるだろう。
悪人も縄も地獄にあるのなら、必然的に僕が向かう先も地獄になる。
自室から地獄まで歩くのも億劫なので、僕は窓から出て飛ぶ。
「あれ、アザゼルが飛んでる。珍しいー」
すれ違い際にアルメンが話しかけてきたが、無視した。
その手には酒ではなく菓子が握られている。
天使である僕が歩いている光景と、僕が飛んでいる光景、どちらも奇異なものなのか。
そう見えているのなら、上出来だ。
地獄には食事前の悪人を殴る天使たちがいた。
ルシフェルは上級に対し「今日はもう休んでいい」と言ったが、地獄の看守はそうはいかないようだ。
そんなことまで考えが行き届かないとは、相変わらず無能な天使だ。
僕が大天使になったところで、地獄の天使たちに休みを与えるわけではないが。
「そんなところで何をしているのですか? 俺以外の上級天使は休みと聞きましたが」
休憩室の扉に手を掛けた時、双子の片割れに呼び止められる。
少し前まではもっと偉そうな口調だった気がするが、いつの間に改めたのだろうか。
まあ、僕に対する態度をわきまえるのは悪いことではない。
「縄が欲しい。ここにあるものを貰う」
「縄? 何に使うのですか?」
「僕が何をしようと自由だろう。サンダルフォン」
「俺はメタトロンです」
「黙れ。冗談に決まっているだろう。笑え。ふへはへへっ」
辺りが白けた。
ラビエルとラグエルは名前が紛らわしいが、こいつらは見た目が紛らわしい。
そういえばサンダルフォンは先程城にいたか。
「お前はあれか? 分かりきっていることをいちいち聞いてくる子どもか?」
「すみません。確かに、アザゼル様が何をしようと自由ですが……」
メタトロンが言葉を詰まらせている間に、僕は休憩室に入る。
やはりここにはあった。
悪人に罰を与えるための、縄が。
「あの、アザゼル様、一体何を?」
縄を手に取ると、メタトロンがしつこく聞いてくる。
「安心しろ。明日には返す」
「いえ、俺はただ……それで何をするのか知りたいだけです」
「おいおいおいおい、お前がそれを知る必要があるか?」
「気になるのです。アザゼル様はロワイヤルで1位でしたが、俺は最下位でした。アザゼル様のように勝つ方法がどこかにあるのかと思い……」
メタトロンが目を逸らすと同時に、名前も忘れた下級天使が飛んできた。
「メタトロン様、先程5487番が脱走しようとしたので捕えました。あれの処遇はどうしましょうか?」
「そうか。次のロワイヤル参加者一人目が早くも決まったな。俺が直接痛みを与えるから案内しろ」
メタトロンはぶつぶつ呟きながら、僕の前から立ち去った。
どうやら、下級の前では変わらず偉そうな口を叩いているようだ。
「相変わらずよく分からん奴だな」
まあ、メタトロンがいなくなったのは好都合だ。
時間を考えると、今は悪人が夕食を食べ終わる頃だろう。
食事が終われば、大きな部屋で雑魚寝する。
そのうち一人を連れ出したとろで、誰も気づきはしない。
「えっ、何でアザゼルがここに……」
廊下で待ち伏せしていると、一人の男が立ち止まった。
もう番号も名前も覚えていないが、相手は僕を知っているようだ。
つまり、僕が下級だった頃から地獄に留まっている物好きか。
ロワイヤルにも参加していない古株となると、地獄で長年まともに働いているということだ。
ある意味凄まじい精神力だ。
僕だったら一日で飽きる自信がある。
「僕がここにいて悪いことでもあるのか?」
「いや、何も……」
この男が食べるのが早かったのか、周囲には誰もいない。
条件は全て揃っている。
「ふへっ、運が良かったな。お前には立派な役を与えてやろう」
僕は男に接近し、大剣を逆さに持って振り下ろす。
大剣の峰が男の肩に直撃し、男は地面に倒れ伏した。
「いてっ……」
倒れた男の口を手で塞ぐ。
「さえずるな。クズが。これ以上声をあげると、”一言につき一つ臓腑を引きずり出して殺す”」
一度言ってみたかった、好きな小説の一節を口にする。
僕の大剣でそんな器用な真似ができるかどうかは怪しいが。
男を連れて大部屋から離れ、誰もいない場所まで移動する。
それから縄で男の腕と体を縛っていく。
「別に誰でもいい。ただお前がそこにいた。それだけだ」
「俺は、天使に殺されるようなことはしてない……っ! もっといるだろ、ロワイヤルに参加させるべきクズが……」
「クズ同士で貶め合うとは醜いな。これはロワイヤルで無駄死するより、余程光栄だぞ。この僕の役に立てるのだからな」
僕は縄で拘束した男を担いで、人目のない場所を選びながら城に戻る。
そして普段誰も入らない、物置部屋に向かった。
「ここで一晩大人しくしていろ。それだけでいい。大人しくしていたら、明日から天国で自由に暮らす権利を与えてやろう」
「え、何で……」
「ルシフェル様が決めたのだ。改心した模範囚は地獄から出しても良いのではないか、とな」
「それ、本当か……?」
「本当だ。お前が一晩何もしなければ、出してやる」
もちろんこれは嘘だ。
殺すと言えば、こいつは舌を噛んで自殺する可能性がある。
そういう悪人を何度も見てきたので、直感で分かっていた。
だから、偽りの希望を与えた。
「ふへっ、ふへはへへっ……」
笑みを零しながら、男の口に猿ぐつわを噛ませる。
縄で動けなくなった悪人は、自由を奪われた蛹のようにも見える。
”蛹”を部屋に放置して、鍵を閉める。
先程の言葉との矛盾にも気づかず僕を信じた男は、間抜けとしか言いようがない。
そして明日、それを越える最高に間抜けな死に顔を見ることができる。
「首を洗って待っていろ、ルシフェル。お前を殺す準備は全て整った……!」
後は、ルシフェルを呼び出すだけだ。