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NOVEL

Heaven's Royale -side Angels-​ 3/4

 今日ここに来るのは三度目だ。
大きな扉を前にして深呼吸する。
チョーカーを差し出して謝るまでの流れを、頭の中で組み立てる。
声に出さず、何度も練習する。
そしてそっと開ける。


「うわっ……」


 そのつもりだったが、力が入って扉を勢いよく開けてしまった。


「ん? どうしたんだ、ラビエル」
「ルシフェル様! その、すみませんでした……っ! 私、ルシフェル様のものだと気づいておきながら、ずっと返せなくて……」


 私が頭を下げながらチョーカーを差し出すと、ルシフェルは首を傾げた。


「これは何だ?」
「えっ? ルシフェル様のものでは……」
「いや、俺のものじゃない。俺が着けるものでもないだろう。鍛練場に落ちていたのなら、下級天使のものかもしれないな」


 これがルシフェルのものだというのは、あくまでベリアルの憶測だった。
私はそれを信じ込んで、これまで無意味に動き回っていたのか。
こんな恥をかくくらいなら、ベリアルに届けさせた方がよかったかもしれない。


「すっすみません! すぐに持ち主を探して……っ」
「そんなに焦らなくてもいいんじゃないか。とりあえずそれは俺が預かっておくよ」

 

 ルシフェルにチョーカーを手渡す。
部屋を出るべきか迷っていると、ルシフェルは顔を上げた。


「せっかくだ。少し話をしないか?」
「えっ? は、はい。私でよければ……」


 ルシフェルの向かいに座る。
視線を合わせられず、机だけが視界に映っている。
覗き見を謝ろうと思ったが、ルシフェルが話すまで何も言えなかった。


「俺は天使全員の生前を知っているが、みんな生前と違っている。ああ、でもラグエルの生前だけは知らないな。彼は俺が天使になった頃から上級だったからね」


 ラグエルの天使歴は突出して長く、本人も何年天使をやっているか分からないらしい。
あまり気にしたことはなかったが、ラグエルにとってルシフェルは何人目の大天使なのだろうか。
ルシフェル以外の天使が大天使をやっている姿は想像がつかない。

 

「私の生前も、知っているんですね」
「もちろん。でもそれを本人に教えることはできない。掟ってわけでもないんだが、なぜかそう決まっている。一人に教えると他の天使も聞きに来るし、いろいろ面倒なんだ。だから教えない方がいいんだ」

 

 ルシフェルに生前を知られているというだけで少し恥ずかしくなった。
私の生前に関しては、私も知らないことなのだが。
ルシフェルは鞘に入った細剣を手に取り、一度眺めてから元に戻した。

 

「天使は武器を失ったら、人間同然の体になってしまうだろう? みんなは、この状態を堕天使と呼んでいる。俺もそう聞いてきた。
 堕天使となった者は、護衛役によって殺されてきた。だから確かめられないが、一つ気になることがあってね。もし堕天使が武器を取り返したら、どうなるんだろうね」
「堕天使が、武器を取り返す……? また天使の姿に戻るのでは?」
「もう一度、天使になることを許してくれると?」
「だと、思います」
「俺はそこに興味があってね。武器を取り返しても人間のままかもしれないし、全く別の姿に変わり果ててしまうかもしれない」

 

 それからも、ルシフェルは奇妙な問答を繰り返した。
疑問を投げかけてくるわりには、特に答えを気にするわけでもない。
ルシフェルの目的はさっぱり分からなかった。
緊張はほぐれてきたが、私も自分の答えに自信が持てなくなってきた。

 

「俺の話にばかり付き合わせて悪かったね。君の方から、何か言いたいことはないか?」
「……一つだけ、アザゼルについて、聞きたいことがあります」
「ああ、あの狂犬か」

 

 ルシフェルは苦笑した。
あれだけのことをされているのに、あまり気にしていなかったのだろう。

 

「どうしてアザゼルに何もしないんですか? 毎日のように大天使に攻撃するのは掟破りにならないんですか。他の女天使たちも、そう言っています」
「大天使は退屈だ。別に譲ってやってもいい。だからアザゼルには何もしていない」
「でもルシフェル様は、先代のミカエル様を殺して大天使になったと、ベリアルから聞きました。退屈なら、どうしてそんなことをしたんですか」

 

 ミカエルの名前を聞いて、ルシフェルの表情が変わった。
ため息をついて、私から目をそらした。

 

「退屈だと分かっていたら、こんなことはしなかった。別に、ミカエル様が嫌いだったわけじゃない。正義感に溢れた、良い天使だったと思うよ。
 当時の俺は、ベリアルのように強くなることを楽しんでいた。何度もミカエル様に挑んだよ。ただ、勝った彼女は俺に綺麗ごとばかり説くものだから……殺したらどうなるのか気になっただけさ」
「え……?」
「俺は悪人と同じような理由で、大天使を殺した。アザゼルが俺を嫌うのは、そのせいかもしれないね。アザゼルは毎日俺を殺すことを考えているが、俺はそんな彼が羨ましいよ」
「アザゼルが、羨ましい?」

 

 思わず聞き返す。
 

「俺は、もう飽きてしまったよ」
 

 ルシフェルは顔を上げて、どこか寂しそうに笑った。
しかしその視線は私ではなく、さらに遠くを見ているようだった。

 

「飽きるって、何に……? ルシフェル様は、死にたいのですか?」
「さあ、どうだろうね」

 

 自分が口を出すのはおこがましいことだと分かっている。
だが、このままでいいわけがない。

 

「そんなこと、言わないでください! 生きてください。ルシフェル様より大天使にふさわしい天使はいません。ルシフェル様がいないと、今の天国は成り立ちません。私が上級を目指したのも、ルシフェル様がいたからこそで」
「別に死にたいとは言っていないんだが……」

 

 私は机に頭をぶつける程の勢いで、すぐに頭を下げた。
 

「すっすみません! 早とちりしてしまって……」
「いや、謝らなくていい。君は、こんな俺が大天使にふさわしいと言うのか。ありがとう」

 

 そう言って、ルシフェルは微笑を浮かべた。
私は再び恥ずかしくなって、目を逸らした。
自分でも頬が熱くなっているのが分かった。

 

「ラビエル。俺が前に……ここで話したことは覚えているか?」
「えっ……」

 

 すぐ思い出せ、と何度も言い聞かせる。
しかし、思い出せない。
どうして、肝心なことが思い出せない。

 

「ああ、思い出せないならいいんだ。俺の話はこれで終わりだ。長々と話してすまなかったね」
「い、いえ、私のことは気にせずに」
「よかったら、聴いていくか?」

 

 ルシフェルはおもむろに竪琴を取り出し、指先で弦を弾いた。
こんなことを言われたのは初めてだったので驚いた。
私は目を閉じ、しばらくルシフェルが奏でる曲に酔いしれた。
この静かな夜にふさわしい、美しい音色だった。

 

 ルシフェルの言う『ここで話したこと』を思い出そうとしてみるが、やはり思い出せない。
そのうち、音色は鳴らなくなっていった。


「ルシフェル様?」
 

 目を開けると、竪琴を持ったまま頭が下がっているルシフェルの姿があった。
どうやら、自分の竪琴の音で眠ってしまったようだ。
私は腕から落ちてしまいそうな竪琴を机に戻した。

 

「おやすみなさい。ルシフェル様」
 

 一度頭を下げて、私は部屋を出た。
同時に覗き見の謝罪を忘れたことを思い出して、ため息をついた。

 

***

広間に戻ると、女天使が全員揃っていた。
私が座る椅子の前には、お菓子が残してある。


「ラビエル、ルシフェル様と何話してきたのー?」
「ちょっとアル姉~、酒くさいー」
「いいじゃんちょっとぐらい! ほらみんな飲め飲めー!」


 私はその様子に小さく笑ってから、席に戻る。


「さっ、全員揃ったことだし、恒例の写真撮影しよっか!」


 アルメンはカメラを取り出し、全員が写るように上に掲げる。
どのように写っているのか分からないが、私も笑ってみる。
それから夜更けまで、女天使たちの笑い声が途絶えることはなかった。

***

 騒がしさで、目を覚ます。
声は大天使の部屋から聞こえているらしい。
私は、すぐに部屋に向かった。


 部屋には既にベリアルとレミエル、アルメンがいた。
ルシフェルが座っていた大きな椅子には、アザゼルが居座っていた。
そしてその足元には、翼を失い、胴に剣が刺さったルシフェルがいた。
私は頭が混乱して、何が起こっているのか、全く分からなかった。


「アザゼル……これ、どういうこと」


 レミエルが震えた声で言った。


「様が抜けているぞ。間抜けめ。見ればわかるだろう。今日から僕が大天使だ」
「は? 大天使?」
「僕はこの剣を奪い、ルシフェルを殺した。これが証拠だ」


 アザゼルは大剣を抜く。
ルシフェルの体と、アザゼルの持つ細剣が同時に光に包まれる。

「……っ!」


 その時、ようやく私は現状を理解した。


「武器を奪うのに悪人の男を犠牲にしたが、クズも僕の役に立てて本望だろう。殺した奴の番号は知らないが、メタトロンにでも伝えておけ。いなくなったクズの番号ぐらい覚えているだろう」
「まさか、昨日悪人の数が足りなかったのは、貴方が?」


 ベリアルも取り乱している。


「記憶の操作も、武器の生成もできるようになった。この僕がルシフェルに代わって天国を支配する。僕の命令は絶対だ」
「ふざけるなっ! お前、お前……ルシフェル様を……よくも!」

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 アザゼルは嗄れた声で笑い続ける。

私は短剣を取り、アザゼルに向かって急降下する。

しかしその間にベリアルが立ちふさがり、槍の柄で私を止めた。

「ベリアル! どうして止めるの!?」
「貴方こそ、なぜそのような真似をするのです。大天使は最も強い天使がなる。それが掟です。知っているでしょう」


 ベリアルは落ち着いているように見えるが、視線は私から泳いでいる。


「でもこいつは卑怯な手で……!」
「ええ、確かに卑怯は許しがたいことです」
「だったらどいて!」
「ですが、ここで争ったところでルシフェルが生き返るわけではありません。ただでさえ少ない天使を、ここで減らしてどうするつもりですか」


 ベリアルの槍にも少し迷いが見られた。
だが私の刃が鈍っているのか、攻撃が全く通らない。


「貴方が天使になる前、ルシフェルは先代のミカエルを倒して大天使になりました。手段は少し違っていましたが、ルシフェルもミカエルの武器を奪い、殺しました。あの時の状況は、今とよく似ています」


 ミカエルの名前を聞いた瞬間、アザゼルの表情が歪んだのが見えた。


「そんなこと関係ない! アザゼルは大天使ルシフェル様を殺した大罪人だ! だから私が……」
「ルシフェルはアザゼル”様”に倒された。大天使の能力も、アザゼル様に引き継がれた。ならば、今の大天使はアザゼル様です。そこに何の違いもないでしょう」
「っ!」


 武器を降ろす。
アザゼルは、手段が卑怯だっただけで間違ったことはしていない。
やっていることは、ルシフェルと同じだ。
ルシフェルが許されて、アザゼルが許されないと思うのは間違っているのかもしれない。
それでも、私は。


「おいおいおいおい。ベリアル、お前はいつから護衛役になった? 僕に側近など必要ない。僕は最強の天使だ。必要なのは美少女だけでいい。
 大天使の命令は絶対だ。今すぐ美少女を用意しろ」
「信じらんない! そんなことをするために、ルシフェル様を殺したの!?」

 

 今度はレミエルが叫び声をあげた。
 

「僕が大天使になる理由など、何でもいいだろう。
 お前はアイドルをやるのだろう? だったらこんなところで油を売っていないで、新曲でも作ったらどうだ? 仕事をしない天使は掟破りとして、堕天使にするぞ」
「はあっ? アイドルはやらなくていいって……」

 

 アザゼルが鼻で笑う。
 

「それを決めたのは誰だ? まさか、ここで無様に死んだ奴か? ふっ、ふへはへへっ! はへへへっ!」
「ぶっ殺す!」


 レミエルが4本の矢を同時に放つ。
アザゼルはすぐに大剣を振り、全ての矢を叩き落とす。
矢は地面に落ちて消えた。


「次は……」


 間髪入れず、矢が現れる。
しかしその矢は番える前に、止められた。


「レミー! やめなっ!」
「っ!」


 矢はアルメンの手に刺さる形で止まっていた。
夥しく流れ落ちる血は、レミエルの殺意を忘れさせるには十分だった。


「アル姉……何やってるの」
「確かにムカつくけど、ここで戦っても何の意味もない。アザゼルより強い天使はいないし、ベリアルも味方してる。そんな状態で戦って、あたしたちが堕天使にされたらどうするんだよ」
「でも!」
「上級が2人も減ったら、悪人の反乱だって招きかねない。ルシフェル様も言ってたでしょ」

 

 矢が消える。
レミエルは膝から崩れ落ち、俯く。
涙が零れ、床に水滴を残した。


「おい、ラビエル、お前は審判役に戻れ。次歯向かったら堕天使にしてやる」
「……っ」


 私が部屋を出ようとすると、入れ替わるようにラグエルが入ってきた。


「ルシファー、明日現界に行くから許可くれない? ……あれ、ルシファーは?」
「奴は死んだ。今日から僕が大天使だ」
「えっ、アーくんが殺したのかい? そんな、僕がもっと早く戻れば……」


 ラグエルは大して驚いていない。
大天使の死に慣れているとでも言いたいのだろうか。


「あと、お前は別に帰ってこなくていい。僕はルシフェルのように現界の報告をしろとは言わない。許可もいらない。今後は好きなだけ現界にいてもいいぞ。ラビエル」
「それは嬉しいんだけど……アーくん、また僕とラビエルを間違えたね」
「知るか。さっさと現界に帰れ」
「えー、昨日帰ってきたばっかりなんだけどなぁ」

 

 いつもどおりの気怠そうな声に虫酸が走る。
この男だけは普段と全く変わらなかった。


「じゃあ部屋に戻ろうかな。ラビエル、君もそこにつっ立ってないで、仕事に戻りなよ」
 

 ラグエルが私の肩を叩こうとしたので、反射的に振り払った。


「ふーん。そういうことするんだ。まあどうでもいいけど。それより、今は悲劇が読みたい気分」
「それよりって何? もしかして、お前が……」
「ちょっと、まさか僕を疑ってるのかい? 勘違いしないでよ。ルシファーを殺したのはアーくんだから。僕は何もしてないよ。大体、僕が犯人だったら絶対近くで観てるし」
「やっぱりお前が……っ!」

 

 私は短剣を取り出す。
ラグエルは肩をすくめた。


「あのさ、僕は今起きてきたばかりなんだよ。どう見ても犯人はアーくんでしょ。これだけ言ってもまだ分からないのかい?」


 肩をすくめながら過ぎ去る背中に、思わず短剣を向けたくなった。
犯人は間違いなくアザゼルで、今この男に殺意を向けたところで、どうにもならない。
そんなことは分かっている。
だが、もうどうすればいいのか分からなかった。


「アル姉、その傷……」
「あたしのことは気にしなくていいよ。すぐ治るから。
 それよりラビエルが心配だよ。正直ラグエルのせいでひやひやした。あいつほんと何するか分かんないし」


 アルメンは元気そうに振舞っているが、レミエルは俯いている。


「とりあえず、上級みんなで話をしよう。下級にこのことが漏れるのも時間の問題だ。このままじゃ、仕事なんてできるわけない。
 レミーは部屋でしばらく休んでなよ。あたしが全部やっておくから」
「……うん」


 レミエルは俯いたまま立ち上がり、よろよろ歩いて廊下に出た。
部屋にはアザゼルとベリアル、腕の止血をしているアルメンが残っていた。


「これで、良かったのですか」


 場が静まった時、ベリアルはアザゼルから目を背けて言った。


「何?」
「ルシフェルを卑怯な手段で殺したのは、私も擁護しがたい行為です。でもそれは先代にも言えること。私に文句を言う筋合いはありません。
 しかし、ラビエルとレミエルを敵に回すような発言は、とても合理的とは思えません」

 

 アザゼルが歯ぎしりをした。


「何だ? お前も僕に歯向かうのか?」
「いえ、天使となった以上、この身は常に大天使に捧げられています。貴方に大天使の力が与えられたのは、紛れもなく貴方が最強である証明。ならば、私は貴方に従うのみです。アザゼル様」
「そうか。まあ、僕に適う天使など存在しないがな」
「それに、借りはまだ返していません。ですから、貴方が大天使である限り、私が逆らうことはないと誓いましょう」
「借り?」
「……そろそろ悪人の朝食時間なので、見張りに戻らないといけませんね。失礼します」

 

 それ以上は答えず、ベリアルは去っていった。


「借り? 借りって何……?」


 アルメンはベリアルを追いかけるように部屋を出る。
部屋に一人残ったアザゼルは、自分のフードに手を伸ばし、被った。


「少し、装いを変えてみるか。誰が見ても、僕が大天使だと分かるように」

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